公開日 2026.04.01
フリーアナウンサー・シンガーソングライター 森光 七彩 さん

声と音楽で、
笑顔をつないでいく。
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生まれ育った広島を拠点にフリーアナウンサーとして活動する森光七彩さん。ラジオパーソナリティや番組ナレーターを務める一方、シンガーソングライターとしての演奏や指導にも携わるなど、表現の幅を広げています。ふたりの男の子の母としての顔も持つ森光さん。現在の姿をたどっていくと、島根大学で過ごした4年間が、いまの働き方と生き方を支えていることが見えてきました。
目次
「いい子でいなくていい」時間がくれたもの

広島で、子どもたちを中心として歌い継がれている「アオギリのうた」という曲があります。平和への願いを込めたこの歌は、広島市内の学校行事や集会など、さまざまな場面で親しまれてきました。この歌を小学生の頃に作詞したのが、森光七彩さんです。「アオギリの子」と呼ばれ、周囲から注がれる期待の中で過ごす日々。中学、高校でもそのイメージは変わらず、知らず知らずのうちに「ちゃんとしていなければ」「いい子でいなければ」と意識するようになっていました。東京での音楽大学進学を断念して島根大学へと進学した森光さん。「挫折からスタートした大学生活だった」といいますが、その島根での生活が思いがけず多くのものをもたらします。「島根では誰も私のことを知らなかった。おかげで肩の力が抜けたんです」。特別な肩書きから離れ、ひとりの大学生として過ごせる日常がありました。

森光さんが本来の性格を取り戻したきっかけは、大学で出会ったダンスサークルの友人たちでした。鏡のある場所を探しては踊り、練習に明け暮れる毎日。副部長としてサークル運営にも関わり、人前に立つこと、仲間と何かをつくることの難しさや楽しさを経験したそう。また、教育実習での授業づくりやアルバイト先で任されていた館内放送など、人に伝えること、相手と向き合うことを繰り返し体験する中で、自分が目指したいことが見えてきたと話します。
「東京に進学していたら、重圧からずっと逃れられなかったかもしれません」。森光さんにとって島根大学で過ごした4年間は、周囲から与えられていた役割や期待から少し距離を置き、自分自身を取り戻していく時間でした。大学時代の経験が、現在の森光さんの基盤になっています。
島根で育んだ自分らしさを、いまの暮らしへ
卒業後の進路を本格的に考えるようになった頃、森光さんは偶然、NHK広島のキャスター募集を目にします。ダンスサークルの友人に教室で撮ってもらった写真を添えて応募したところ、採用が決定。卒業式を迎える前から研修が始まり、卒業式の翌日には生放送の現場に立っていました。
取材の現場では、表面的な言葉だけでなく、その人が何を考え、何を伝えたいのか、その背景や思いに耳を傾けることが求められます。大学のインタビュー実習などで培った「相手の話をじっくり聞く姿勢」が、そのまま仕事に生かされていきました。授業やサークル、アルバイトなどで人の話をじっくりと聞いた経験が、現場での判断や言葉選びの土台になりました。
NHKで経験を積んだのち、フリーアナウンサーとして活動を始めた森光さん。局や番組ごとに求められる役割は異なりますが、取材や番組制作を通して、地域で暮らす人の声や出来事に耳を傾け、言葉として届ける姿勢は変わりません。第二子が生まれたばかりの現在は、仕事の量を調整しながら、決まった時間にスタジオへ向かい、収録を終えたら日常に戻る。そんなリズムの中で、仕事と暮らしを行き来しています。
大学時代に培ってきた、人と向き合う姿勢や、新しいことへの挑戦と経験。パートナーとの出会いも島根だったといい「島根大学に行ってなかったら夫にも息子たちにも出会えていないと思うと感慨深くて…。島根での時間は、私にとってかけがえのない時間でした」と笑顔で振り返る森光さん。日々の仕事と暮らしの中で、島根で紡がれた縁に支えられながら、自分らしく歩みを続けています。
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広島エフエム放送「H-Junk Factoryのものづくりラジオ」(毎週木曜日18:00~)に出演中 -
鍵盤奏者の父、東京で活躍するベーシストの弟とのコンサート風景。将来は息子たちも含めた「3世代演奏」を実現することが目標とのこと。
※本記事は、広報しまだい63号(2026年4月号)で公開された記事をもとに再掲載しています。








