公開日 2026.04.01
NSP宇都宮 須山 晴貴 さん

飛び込みの日本代表として、
未来に挑み続ける。

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2028年に開催予定のロサンゼルスオリンピックを目指し、飛び込みの選手として日々トレーニングを重ねている須山晴貴さん。現在は、宇都宮市にある日環アリーナ栃木を拠点として、日本水泳振興会のサポートによりアスリート社員として活動しています。ハードな練習を中心とした生活を送る背景には、競技以外にも視野を広げ、さまざまな葛藤を乗り越えた大学時代の決意がありました。
目次
大学時代に学んだのは決断する勇気

飛び込み競技でこれまで数多くの入賞経験を持つ須山晴貴さんが、飛び込み競技を始めたのは小学生の頃。姉の影響で始めてすぐに才能が開花したことで本格的に指導を受けるようになり、次第に飛び込み中心の生活になっていきました。その後、中学、高校と進むにつれ、練習の比重はさらに高まり、放課後や休日の多くをプールで過ごすようになりました。技の完成度や記録を高めるため、繰り返し同じ動きを確認し、身体と向き合う。高校時代までは、家族や友人と過ごす時間も削り、飛び込み競技のことだけを考えて過ごす毎日だったといいます。高校時代にインターハイや国体で優勝したことで将来を嘱望され、さらに競技に真剣に打ち込もうと決めた須山さんが進学先として選んだのは、生まれ育った地元・松江にある島根大学。「さまざまな分野を学ぶ仲間と交流することで、飛び込み競技以外の世界を知ることができたのが大学時代だった」と振り返ります。

大学3年になった須山さんを襲ったのは、それまでにないスランプ。一時は飛び込みをやめることも考えたといいます。将来について改めて考えるようになった須山さんを支えたのは、スポーツを研究する久保研二准教授(当時)と同じゼミの先輩、同級生でした。「競技を続けること」も「別の道を選ぶこと」も自分で決めていいんだ。久保先生との対話の中で、そう気づいた須山さん。「オリンピックを目指せるのに、ここで競技をやめてしまうのか」と自分に問いかけ、続けなければならない義務ではなく、続けたいという意思だと捉え直した須山さんは「今しかできないことをやろう」と決意しました。
自ら選んだ競技人生を輝かせるために

飛び込み競技を続ける道を選んだ須山さんは大学卒業後、栃木県宇都宮市にある日環アリーナ栃木で練習を軸に生活を組み立てる日々を送っています。アスリート社員としての須山さんの一日は、その大半を練習が占めています。それに加え、飛び込み教室やキッズスイムでの指導、大会の準備や運営補助など、競技を続ける環境を支える立場も担っています。「目標に向かって練習を続けるということ自体はずっと変わらないですが、以前とはモチベーションが違います」と話す須山さん。「多くの人に応援していただき、支えていただいている。だから、結果で恩返ししたいんです」。自分ひとりのためだけではなく、多くの人の思いを背負って競技に立つ。その強い気持ちが今の須山さんを前に進ませています。

島根大学時代に培った経験が生きていると感じる場面も少なくないという須山さん。練習仲間や指導者、運営に関わる人たちなど立場の違う人たちとの関わりの中で、相手の立場を考えながら関係を築くことも、学生時代に学んだことが大いに役立っているそう。恩師である久保先生との変わらぬ縁も支えになっています。大きな目標は、2028年のロサンゼルスオリンピック出場。その道のりは決して平坦ではありませんが、須山さんは現実的な距離感で目標を見据えています。そして競技人生の集大成として捉えているのが、2030年に島根で開催が予定されている国民スポーツ大会への出場です。競技人生の中で積み重ねてきた経験を、育ってきた場所や支えてくれた人たちにどう還元できるのか。そして競技の先に、どんな未来が待っているのか。その問いを胸に、須山さんは今日もプールに立ち続けています。
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2025年5月開催のAmerican cup。成績は男子3m3位、男子シンクロ優勝。「肩の怪我がある中、結果がついてきた思い出深い大会。まだまだ成長できるし、伸び代を感じる瞬間でした。」と須山さん。
※本記事は、広報しまだい63号(2026年4月号)で公開された記事をもとに再掲載しています。








