公開日 2026.09.11

SPECIAL

特別対談 安来清水寺 清水谷 善曉 貫主 ✕ 島根大学 大谷浩 学長 ​

「場」が、人を育てる。
―大学と寺院が見つめた、学びの未来―

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夏の陽射しが降りそそぐ安来清水寺。境内には、蝉の声と木々を渡る風の音が響いていました。
この日、対談にのぞんだのは、島根大学の大谷浩(おおたに ひろき)学長と、1400年以上の歴史を持つ安来清水寺の清水谷善曉(しみずたに ぜんぎょう)貫主です。
大学と寺院。
一見すると接点の少ない二つの存在ですが、対談が進むにつれ、共通する思いが少しずつ見えてきました。

「人を育てる」とは、どういうことなのか。

AIが急速に普及し、知識や情報を得る方法が大きく変わろうとしている今だからこそ、大学と寺院は何を守り未来へつないでいくのか。人を育てる「場」のあり方や、それぞれが地域で果たす役割について語り合いました。

目次

この対談が実現したきっかけ

今回の対談は、人間科学部の石原宏教授、総合理工学部の清水貴史准教授、シュレスタ・アクリティ特任助教が進める「人のこころを包み育む建築環境」についての共同研究をきっかけに実現しました。
また、清水准教授とシュレスタ特任助教は、社寺の建築・文化財の維持保全に関する環境調査にも取り組んでおり、その中で、三人の共通の恩人を通じて、清水谷貫主とのご縁が生まれたことを発端に実現しました。

安来清水寺は、仏教が地域の風土や地形、水、森、祈り、食、ランドスケープや音環境、建築と結びつきながら、長い歴史の中で継承されてきた「場」です。大谷学長も関心を寄せる「ジオサイコロジー」を体現する場ともいえます。
今なおこの場を守り続ける清水谷貫主と、地域の知と教育の拠点である島根大学を牽引する大谷学長。 人材育成や組織継承、地域の活性化について考えを共有するとともに、両者の協働の可能性を探ることを目的に今回の対談が企画されました。

 

(左から順に、石原 宏教授、Shrestha Aakriti (シュレスタ アクリティ)特任助教、大谷 浩 学長、清水谷 善曉 貫主、清水 貴史准教授)


対談参加者
安来清水寺 清水谷 善曉 貫主
島根大学 大谷 浩 学長

島根大学人間科学部 石原 宏 教授
島根大学総合理工学部 清水 貴史 准教授
Shrestha Aakriti(シュレスタ アクリティ) 特任助教

大学と寺院の共通点

対談は、組織を運営する上で日々感じている課題を尋ねるところから始まりました。

安来清水寺は、587年に開かれたと伝わる古刹(※)です。しかし、これまでの歴史を守るだけでは、寺院を未来へつなぐことはできません。人々の暮らしや価値観が大きく変わる中、寺院にも時代に応じた取り組みが求められています。
一方で、変えてはならないものもあります。清水谷貫主が重視しているのは、仏教や寺院としての根本を失わないこと。時代に合わせて柔軟に変化しながら、本来の役割を守り続ける。その両立は、寺院を預かる立場として避けては通れない課題です。

※長い歴史と由緒がある古いお寺のこと。

 

それを聞いた大谷学長は、大学が置かれている状況にも通じるものがあると感じていました。
国立大学法人となって以降、大学には教育や研究に加え、経営の視点も強く求められるようになりました。学生に選ばれ、地域から必要とされる大学であること。それには、健全な経営を続けることも欠かせません。
ただし、経営だけを優先すれば、大学本来の姿から離れてしまいます。教育と研究という使命を守りながら、社会の変化にも応えていく。大谷学長もまた、そのバランスを模索しています。

寺院と大学では、歴史も担う役割も異なります。それでも、二人の話には不思議なほど重なる部分がありました。
両者の背景には差はあれど、どちらも長い時間をかけて人々のこころの拠りどころとなり、次世代を育み、社会の中で役割を果たしてきた場所です。それを未来へつなぐために、何を守り、何を変えるのか。今回の対談は、二つの組織に共通する問いが見えてくるところから始まりました。

「答え」は、AIが教えてくれる。でも——

近年の生成AIの登場によって、情報・知識を得る方法は大きく変わりました。分からないことがあれば、AIに尋ねることで、すぐに答えへたどり着けます。学ぶことも、情報を集めることも、以前よりずっと身近で容易になりました。

そんな時代に、寺院・大学の「場」はどのような役割を担うのでしょうか。

この問いに対し、清水谷貫主は、仏教の教えそのものは仮想空間でも伝えられるだろうと答えました。一方で、「清水寺」という場所が持つ価値は、オンラインだけでは置き換えられないと考えています。
山門をくぐり、石段を上る。境内を吹き抜ける風を感じながら、歴代の僧侶たちが守り続けてきた空間に身を置く。そこで寺院文化や地域の歴史に触れる体験は、画面越しに情報を得ることとは異なります。

テクノロジーを入り口として活用し、その先で実際に清水寺を訪れてもらう。貫主は、オンラインと現実の場所をどのようにつないでいくかに、これからの可能性を見いだしていました。
清水谷貫主の話に、大谷学長も深くうなずきました。 AIは、多くの人に共通する知識を整理し、分かりやすく示すことを得意としています。しかし、得た知識を人を前にどう生かすかは、人自身が考えなければなりません。

大谷学長は、自身の専門である解剖学に触れながら、人の身体は一人ひとり顔が異なるように、神経、血管、筋肉、内臓も唯一無二であり、その人が置かれている現状やこれまでの経験、抱えている背景もそれぞれ違う、正に一期一会だと説明しました。
受け取った複数の知識から正しく選択して結び付け、目の前の出来事をさまざまな角度から捉えて、責任を持って判断する。これからの大学には、そうした力を育む役割が求められています。

二人の話は、「AIか、人か」という単純な対立ではありません。知識を得る方法が変わっても、人は誰かと出会い、ともに考え、自ら経験する中で成長していきます。
答えを得ることが容易になった今だからこそ、実際に足を運び、人と向き合う「場」の価値が、あらためて問われているのかもしれません。大学と寺院は、それぞれの方法で、人が集い、学び合える場所を未来へつなごうとしていました。

AI時代だからこそ、「その場へ行く意味」を考える

AIが知識を届ける時代だからこそ、「実際にその場へ足を運ぶこと」には、どのような意味があるのでしょうか。
この問いについて、同席していた研究者にも話を伺いました。

臨床心理学を専門とする石原教授は、学生の中には、まず生成AIへ相談し、その後、人へ相談するかどうかを考えるケースも増えていると話します。
一般的な情報はデジタルツールから得られる時代です。 しかし、それを目の前の一人ひとりにどう当てはめ、どのように寄り添うかは、今も人にしかできない役割です。
「オンライン相談にも意義はありますが、実際に人と出会い、その場を共有することで生まれるものがあります。清水寺という場所に来てもらうことを大切にされているというお話に、強く共感しました。」
学長と貫主が語った「人が集う場」の価値は、臨床心理の現場にも通じるものだと感じました。

また、ネパール出身で建築環境学と建築デザインにおける研究・実務経験を持つシュレスタ特任助教は、日本の寺院文化と建築を海外の視点から見つめます。
ネパールでは、寺院は祭礼や祈願など、明確な目的を持って訪れる場所という印象が強い一方、日本では、自然や静かな環境を楽しんだり、心を落ち着かせたりするために訪れる人も多いと感じるといいます。

そうした文化の違いを踏まえた上で、「大学と寺院が協力し、学生がよりよい人間へと成長する場をともにつくろうという発想は、とても新鮮で興味深い」と語りました。

学長と貫主の対話を、異なる専門や文化の視点から受け止めた二人の言葉は、「場」が持つ意味をあらためて考えさせてくれました。

変わるために、守る。

 

対談はさらに、「何を未来へ残していくのか」という話題へ移ります。
「場」は、日々・時代ごとに新しい歴史が加わり形成されます。

その中で大切なのは、「何を一番大切にするのか」という軸を持つことだと、清水谷貫主は話します。
清水寺には、祈願に訪れる人もいれば、観光で訪れる人もいます。
それでも、寺院として最も大切にしているのは、仏教の教えを伝えること。つまり「法話」です。
「そこが揺らぐと、その後の活動も揺らいでしまいます。」

先代から受け継いできたその考えを、今も大切に守り続けています。一方で、法話は、難しい言葉を並べればよいというものではありません。
資料を使うこともありますが、本当に大切なのは、言葉だけで伝わることだといいます。
そして目指しているのは、聞いた人に「全部理解してもらうこと」ではなく、「分かったような気がする」と感じてもらうこと。
その小さな実感が、「もう一度聞いてみよう」「もう少し知りたい」という次の一歩につながるからです。

 

この考えに、大谷学長も強く共感しました。
大学もまた、知識を詰め込むだけでは役割を果たせません。AIによって知識を得ることが効率化されるほど、その知識をどう結び付け、新たな価値を生み出すかが重要になります。
島根大学には、多様な専門分野があります。
一つの専門だけでは見えない課題も、異なる分野が交わり、地域の人々と関わることで、新たな教育や研究へとつながっていくでしょう。

寺院が法話を通して人を育てようとするように、大学もまた、知識だけでなく、物事を考え、つなぐ力を育もうとしています。
守るべきものを大切にしながら、新たな価値を生み出していく。立場は違っても、二人が見据えていた未来は重なっていました。

人が集まることで、新たな価値が生まれる。

対談の終盤には、大学と寺院が地域とどのようにつながっていくのかにも話が及びました。
大学が担うのは、教育や研究だけではありません。地域の人々やさまざまな組織と関わりながら、新たな価値を生み出すことも、大切な役割の一つです。

社会が抱える課題が複雑になる中、一つの分野だけで解決策を見いだすことは容易ではありません。異なる知識や視点を持つ人たちが出会い、それぞれの専門性を持ち寄ることで、新しい教育や研究の可能性が広がります。

 

今回の対談も、そのきっかけの一つとなりました。
寺院を舞台に、心理学や建築環境学、国際交流など、これまで接点の少なかった分野の研究者が集まったからです。ここで生まれたつながりが、今後の教育や研究へ発展していくかもしれません。大谷学長は、そうした出会いを育むことにも、大学の意義を見いだしていました。

清水谷貫主もまた、今回の取り組みに新たな可能性を感じています。
これまで清水寺には、仏教や文化財、建築などを研究する人々が数多く訪れてきました。一方、心理学や建築環境学をはじめとする新たな分野から、寺院という場所を捉え直す機会は、決して多くなかったといいます。

一人ではたどり着けない発想も、それぞれの専門を持つ人が集まれば形になることがあります。異なる視点が交わることで、寺院の新しい価値や可能性が見えてくる。その期待は、二人に共通していました。
寺院を守るとは、建物や文化財を残すことだけではありません。人と人との出会いを生み、そこから芽生えた新たな価値を未来へつないでいくことも、その一つなのではないでしょうか。

学びと祈りが出会う、その先へ

約2時間にわたる対談では、大学や寺院の運営をはじめ、AI、教育、地域とのつながりなど、幅広いテーマが取り上げられました。それらを通して浮かび上がったのが、「人を育てる」という共通の役割です。
知識を伝え、文化を受け継ぎ、地域との関わりを育む。立場や方法は異なっていても、大学と寺院が大切にしているものには、多くの重なりがありました。

 

今回、清水寺に集まったのは、これまで接点の少なかった分野の人たちです。
大谷学長は、ここで生まれたつながりを一度きりで終わらせず、今後の教育や研究、地域への貢献へと発展させたいと考えています。
清水谷貫主も、多様な知識やアイデアが持ち寄られることで、これまで気づかなかった清水寺の可能性が見えてくるのではないかと期待を寄せました。

今回の対談で、何か一つの結論が示されたわけではありません。むしろ、人を育む「場」とは何かを、大学と寺院、そして地域が一緒に考えていく出発点になったといえます。
学びの場と、祈りの場。その二つが出会ったこの日の対話から、新たな一歩が始まろうとしています。

ShimaDAYライター
まつD
島根県出身のクリエイティブ・ディレクター。
日々日々映像の世界にダイブしている映画ジャンキーなので慢性的寝不足。
島根を愛し、島根に愛されるオトコを目指して今日も様々なPR案件にチャレンジしている。

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